Lecture

平成29年度定例講演

UpDate/2017/8/11


【記事-1 第一回講演】
(中日新聞 岐阜近郊版より)

第1回 講演
各務原市総合福祉会館
2017/4/16

◆続・各務原という地名

(教育委員会事務局文化財課課長)
西村 勝広
(⇒記事-1)

【昭和33年(1958)撮影】
前半が国鉄の駅、後半が名鉄の駅

この時期、各務原の駅名が国鉄(現JR)と同じように「各務ヶ原」と「ヶ」が入っていました。

◆イタリアの文化と日本の文化

(岐阜大学教授/日本語学)
山田 敏弘






第2回 講演
鵜沼西町交流館
2017/6/17

◆続・各務原市から展開する古代地名

(各務原歴史研究会会長) 瀬川 照子

◆犬山城と成瀬家

(犬山城白帝文庫理事長) 成瀬 淳子
(⇒記事-2)

【記事-2 第二回講演】
(中日新聞 岐阜近郊版より)

 【関連リンク先】(別ウインド又は別タグで開きます)




第3回 講演
各務原市産業文化センター
2017/8/19

◆朝日町町史編纂

(元朝日町自治会連合会長) 谷内 朗

◆戦時の記憶/鹿子島騒動

(歴史街道を歩く会会長) 足立 勘二

写真-1 木曾川中洲の開墾

写真-2 芋畑となった小学校のグランド

写真-3 大八車に積んで運ぶどんぐり

 こうした食料難の背景のもとで鹿子島騒動が起きたのだということです。 元々、この辺りの木曾川は北側へ大きく蛇行していたようで、 草井村の鹿子島の土地は半島のように迫り出していました(図-1)。 ところが川の流れが南へと移動して土地は分断され、一部が岐阜県側につながる形へと変化していったのです。
 明治に入って廃藩置県となっても県境は不明確なままでしたが、明治38年になって、 漸く愛知県と岐阜県との話し合いで当時の木曾川の流れの真ん中を県境にすると取り決められました。 これによって岐阜県側にの取り残された鹿子島の土地も岐阜県側に没収されてしまうため、 鹿子島の住民は、これに強く反対し、無償、無期限の先住権を獲得します。 その広さは14町9反3畝23歩、凡そ15ha。

図-1 尾張藩藩撰地誌『尾張志』付図「葉栗郡」(江戸後期作成)愛知県立図書館所蔵

図-2 終戦直後の鹿子島周辺の空撮(1948年米軍撮影)出典:国土地理院

図-3 現在の鹿子島周辺の地図(2017)出典:国土地理院、標準図+標高図(40%透過)

写真-4 開墾記念塔と足立氏

写真-5 開墾記念塔の裏側



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